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やはり青春時代をボーカロイドで過ごしたのがいけなかったのだ。

※この記事は2018.8/12にpass付きのブログで公開したものを再編集し、投稿しています。※

 

 ボカロPとして有名なNeru/押し入れPがこんなツイートをしていた。

  このツイートを見たとき、ふふっと笑ってしまった自分がいる。これは聞き手側も一緒だと私は思っている。

 中学生の頃に「なぜ私は西野カナの歌詞を理解することはできないのに、ボカロは楽しむことができるのだろう」と考えたことがあった。その考えの結論としては「作り手側に理由がある。インターネットで音楽を作っている人たちは基本オタクだろうし、同じオタクの私が楽しめて当然。そら、オタクじゃない人がオタクじゃない人に向けて作った曲を私が楽しめないのも当然」だった。私はこれをすごい大きな気付きだと自分で自分をすごいと思っていたが、結構当たり前のことなんだと思う。

 私は現代のオタクとして当然のようにボーカロイドというインターネット音楽を聞いて中高を過ごし、今この文章を打っている瞬間のBGMもボカロだ。

 高校に上がる頃にはある程度好きな作り手・ボカロPが定まっていて、よくその人たちの曲を聴いていた。私はNeru、みきとP、石風呂氏が特に好きだった。

 一人ずつ有名な曲を紹介していくと、Neruは「東京テディベア」、みきとPは「いーあるふぁんくらぶ」や「サリシノハラ」、石風呂は「ゆるふわ樹海ガール」などがある。もしかしたら私が有名だと思って挙げたこの曲たちも最近の視聴者からしてみれば古くて、代表曲じゃなくなっているかもしれない。

 私の中の3人の共通点は歌詞が「捻くれている」ことだ。これは気付いたらそうだった。別に3人以外の曲も聴いていたし、好きなものもたくさんあったけど、CDを買ってヘビロテしたり古い曲も漁ったり新曲にワクワクしたりしたのは特にこの3人だったなーと思う。

あんなに好きなお笑いも 
人生変えた音楽でさえ 
何故に僕の事を否定するの

  これはみきとPの「小夜子」の歌詞の一部だ。私は中3の頃、この歌詞が大好きだった。「なんか、分かる、そーゆーとき、あるよね!」みたいな気持ちにさせられた。中3の私アホだな。でも私じゃ「なんか」としか言えない気持ちを言葉にしているのがすごいと思っていた。歌詞も曲もタイトルも全部好きだった。

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 聴いてもらうと分かるのだが、これはちょっとメンがアレな少女のことを歌った曲だ。そんな曲に「なんか、分かる!」とか思っちゃってる時点で、アウトなのだ。オタクな人/オタクじゃない人の「オタクな人」に分類されてしまっていたのだ。悲しいことである。

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 私はナポリの男については全くの無知なのでそこら辺については言及しないが、このツイートが流れてきたとき、ニンマリしてしまった。「あの」米津玄師が、もう「ハチ」として戻ってこないであろう「あの」米津玄師が、キヨ、まふまふ、Eveというメンツと遊んでいるのだ。これでニンマリしないオタクはいるのだろうか。なんだか私は米津氏が一般人に浸透すればするほど、ニコニコ動画に戻ってきたがっているように感じてしまった。結局「こっち側」の人間なんだなと思ってしまったのだ。オタクはなってしまったが最後。オタクではない人には戻れないのである。

 少し前に会った友達に某桜の曲がヒットした歌手の歌詞がとても良いと勧められた。それは自分を育ててくれた家や親に感謝の気持ちを歌っていたり、自分の人生を迷わずにまっすぐ進もうぜ的なことを歌っていたりした。どうやっても私には合わない曲だと思う。なんせNeru氏の言葉を借りるとオタク活動を好き好んで選んでいる人の作った曲で青春時代を過ごしたのだ。中3をメンがヘラっているオンナの曲で感動して過ごしたのだ。合う気がしない。

 まぁここまでダラダラと書いてきたわけだが、結局何が言いたいかと言うと「私の将来の夢は普通の人になることだけど、その一歩として普通の人が聞く曲を理解した方が良いはずなのに理解ができないからどうしよう」ということである。(そうなの?!)

 さてじゃあここで生まれる疑問として「普通の人とは一体どんな人なのか」というものがある。私にとっての「普通」は……なんだろう……死にたいと思うけど死ねない自分に嫌気がさして泣いちゃわない人とかかな………。自分でもよく分からないな……。だけどとにかく自分が思う「普通じゃない」部分を打破したいのだ。

 私がこんなになってしまったのは本当に青春時代にこの人たちの曲を聴いていたからなのだろうか、それとも未だに「人とちょっと違うアタシ」をかっちょいーとか思ってしまっているのだろうか。というかボーカロイド自体「人とちょっと違うアタシ」を演出するには有名になりすぎているかもしれない。

 自分のことが分からない。理解ができない。でもきっとこれからも某桜の曲がヒットした歌手の曲は理解できないし、Neruの曲を爆音で聞くし、みきとPの新曲には心を打たれるし、石風呂の曲のネクラさには笑い続けるのだろう。

ただ最後にひとつ、これだけ言っておきたいな

浮かれた大学生は 死ね

 言われる側になっちゃった。

 

 

NU'EST W-Ren solo『나, 너에게』解釈/僕は君に、君は僕に一体何を求めたのか。

 さて今回のNU'ESTクンのアルバムにはソロ曲が収録されたわけで、れんぴさんことレンくんのソロ曲の解釈をぼちぼち書いていこうとしているわけですが。なんとまた死亡解釈です。今回れんぴさんは「哀」というテーマを引き受けて歌詞を書いたというのを見たので、それを意識しつつ、前回のソロ曲『Paradise』も頭にちらせつかせながら歌詞について考えていたら、どうしても主人公たちが死んでしまいました。私が死ネタ好きだからでしょうか。皆さん!皆さんもどうか解釈を書いてください!私はもう死ネタ好きフィルターがかかった解釈しか書けないです。でもどうやっても死んでいるのです。

 今回参考にさせていただいた和訳記事はこちらになります→

【和訳/歌詞/カナルビ】NU’EST W - 나, 너에게(ナ、ノエゲ) (REN SOLO) 僕、君に

 

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いつの間にか沈んでいく夕陽
僕の心はか弱い速度で大人になり

  これは君が死んでから時間が経ったことを現している。夕日が「いつの間にか」沈んでいるのは、君が死んだ悲しみで僕はボーっと生きているのか。それとも気を紛らわせるために他のことをしたりして、1日の時間が過ぎるのが早いことを言っているのか。

 2行目では僕は本当に少しずつだけど、君の死を受け入れようとしたことが伺える。

 

いつの間にか寂しさで僕は
僕を失った心が彷徨い

  「僕を失った心」ということは心は存在するが、「身体」は存在しないということだろう。つまり君を失った寂しさで僕は死んでしまったのだ。その心はなぜか彷徨っている。どこを彷徨っているのだろうか。この世なのか、あの世なのか。それはまだ分からない。

 

悲しみで眠りについた時
その時 その時
この歌の中で僕らを探して

 ここでの眠りは「死」を意味するだろう。だが「この歌の中で僕らを探して」というのがよく分からない。曲の歌詞をあの世と表現しているのだろうか。上の歌詞とも合わせて、あの世で僕の心が彷徨っているからそれを探してくれということだとすると、僕「ら」というのはおかしくはないだろうか。

 

息を吸える理由
君だよ 君だよ 君だよ

喉が詰まってきても
君が喜びだから不幸なんかじゃない

 1行目の「息を吸える理由」=「生きる理由」ということだろう。つまり生きる意味は君だということだ。2行目の「喉が詰まってきても」=「死にそうになっても」ということで、君がいるところに行けるなら死さえも喜びだから僕は幸せだ、ということを言いたいのだろう。

 

ずっと掴んでいた
悲しみも脱ぎ去ってみたら 薄かったんだ
Oh- Oh-

  この流れで行くと「悲しみ」は「君を失ったこと」だろう。君を失った悲しみに耐えながら生きてきたけど、その悲しみを捨てて自殺を試みたら案外楽だった、というところだろうか。

 

未練たらしく離せず
現実によって傷付いたキズもそのまま

 死んだ君を忘れられず、「君が死んだ」という現実で傷ついた自分のまま死んだ、ということだろうか。

 

私はあなたがいて幸せ
そう言ってくれるなら辛くないだろう

 Paradiseのときもそうだったが、僕は結構独りよがりだ。「私はあなたがいて幸せ」と言ってくれたら僕は辛くないと、君の意志は無視して哀願している。

 

僕を失った心は彷徨い
悲しみで眠りについた時

その時 おー その時
この歌の中で僕らを探して

息を吸える理由
君だよ 君だよ 君だよ

喉が詰まってきても
君が喜びだから不幸なんかじゃない

ずっと掴んでいた
悲しみも脱ぎ去ってみたら 薄かったんだ
Oh- Oh-

 ここまでは歌詞があまり変わらないので一旦置いておく。そしてラストに入る。

 

この世界で 僕にとっては
いつも君から幸せだから
不幸じゃないって言って Wuh

 ここで一度Paradiseの話をしよう。私はParadiseでれんぴさんは死も幸福として受け取ることができる人と言った。そして結果的にあの曲の登場人物たちは「幸福」で曲を終えたと私は解釈している。そんな歌詞を書いたれんぴさんがこの曲で「死」そのものを哀しいものとして扱うとは到底思えないのだ。しかも僕は自分が死んでも君がいるなら喜びになると歌っている。れんぴさんは一体どこに「哀」を含ませているのだろう。

 もしかすると、哀しいのは「君」の方ではないだろうか。

 君は何かしらの理由で死んでしまい、だが僕には生きていて欲しかった。でも僕は寂しさに耐えられず自殺してしまう。そして彷徨った結果、天国で君に出会う。そして言うのだ。「僕にとって君といることが喜びだから、幸せだから、君も不幸じゃないと言って」と。自分が死んでしまったせいで、自殺をした僕。君にとって僕が自分のいるこの世界(天国)にいることが哀しいのかもしれない。

 

 …というのが一通りの私の解釈だ。果たして君は「不幸じゃない」と言ってくれるのだろうか。僕の自殺を、また一緒にいられると喜びに変えることができるのだろうか。だから僕はずっと独りよがりだったのだろう。君にとって僕の死は、天国での再会は「哀」なのだ。生きていてほしかったのだ。

 「悲しみで眠りについた時 その時 その時 この歌の中で僕らを探して」の部分はまだ考える余地がありそうなので、しっくりくる解釈が出次第追記することにする。

 

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 どうでしたでしょうか。正直まだまだな部分もたくさんあるんですが、早く書きたくてとりあえず一度バーッと打ってしまいました。つまりは寂しさで自殺した僕に君が「なんで自殺したの?!」と哀しんでいる…ということです。今回は「死」を幸福と思う人、不幸だと思う人がどちらも登場し、なんというか、れんぴさんはすごいと思いました。どちらにも寄り添っててすごいです。

 れんぴさんの考える歌詞は私のツボです。創作意欲も沸かせてくれます。ありがたいです。もっとたくさん歌詞を書いてほしいです。君が死を肯定するたびに私は救われます。ありがとう。

 そして異論反論・誤字脱字報告、いろいろと受け付けております!私自身まだ不完全だと思っているので再編集する可能性しかありません。だってParadiseでもまだまだ考えられそうなんですから!

 ここまで読んでくださりありがとうございました!ではでは!

 

世界の果てで死んでいるNU'ESTのRenと、輪廻の果てで生きていくスピッツの草野正宗

 私は推しであるNU'EST Wのレンくんのソロ曲『Paradise』の解釈記事をこのブログに投稿している。( https://ggggonly.hatenablog.com/entry/2018/09/12/143453 )この記事を閲覧している方たちはNU'ESTペン、またはK-POP好きがほとんどだと思うため、Paradiseの説明は割愛させていただく。

 話は変わって、私はスピッツの『青い車』という曲が好きでよく聴いている。青い車は1994年に発売されたスピッツの9枚目のシングルであり、やはりこの曲の印象的な歌詞と言えば「輪廻の果てへ飛び下りよう」だろう。そしてこの歌詞を聞くたびに私はParadiseと対照的な曲だと感じる。私から見てそんな対照的な二つの曲の話を今回はしていこうと思う。

 青い車の解釈はこちらの記事を参考にさせていただきました。→

スピッツ「青い車」ガチ考察!意味は?草野マサムネ!本当に心中の歌?

  

 Paradiseの出だしの歌詞はこれだ。

君と僕 世界の果てのこの場所で
僕達の永遠の中 生きている

  最初のこの時点でこの曲の登場人物は死んでいる。この世界が地球だとするならば、地球は丸いのだから果てなどない。そして人間はいつか死ぬのだから永遠もあるわけがない。だから「世界の果て」はこの世ではない天国を指し、君と僕は天国で永遠を生きている。…というのが私の解釈である。

 私が最初に解釈記事を書いたときは、この歌詞の時点ではまだ「僕」は生きていると思っていた。なぜなら物語のオチを最初に示すとは思っていなかったのと、「世界(地球)」で「生きている」というワードが入っているからという安易な考えだ。だがれんぴさんはこの曲のオチを最初に持ってきていたのである。

 

 上述した青い車の印象的なワードはサビの一部だ。

そして輪廻の果てへ飛び下りよう

 私は「輪廻」という言葉を聞いてこれまた安易にこの曲の登場人物は死んでしまうと思っていた。だが「輪廻の果て」=「生きる」という解釈を読み、すごい納得した。

 輪廻は簡単に言うと生死を繰り返すことである。だが死ぬのであれば輪廻そのものに飛び下りる必要があるはずなのに、この曲では「果て」なのだ。輪廻の「果て」=「終わり」ということは「生きる」ということなのである。

 

 Paradiseでは本来人間が生きる場所である「世界」で死を表現し、青い車では死を連想させる「輪廻」で生を表現しているのだ。これが私がこの2曲の対照性にとても惹かれている1番の理由である。

 

 次にParadiseでは「僕」が死に対して恐怖を感じているような歌詞が出てくる。

崖から飛べるほどの大きな勇気をもらえる

揺らぐ心を掴まえてくれ 僕が落ち着けるように

 1つ目は、「勇気がもらえる」ということは僕は崖から飛べるほどの勇気を最初から持ち合わせてはいないのだ。2つ目は、死にたいけど恐怖でやめようかと揺らいでる心を落ち着かせてほしいと君に哀願している。

 

 そして青い車にはこんな歌詞がある。

永遠に続くような掟に飽きたら

シャツを着替えて出かけよう

生きるということは 木々も水も火も同じことだと気付いたよ

 1つ目は参照させていただいた記事を読んだ方が早いかもしれない。永遠に続く「ような」掟というのは、生きていく上での嫌なことなどから逃げてどこかへ行ってしまおう(死んでしまおう)と言っているように聞こえる。そして2つ目だが、私は最初にこの歌詞を聞いたときにどこか生きることへの疲れや諦めに聞こえた。

 ちなみに、永遠に続く「ような」に「」を付けたのは、Paradiseの出だしについて書いている部分で生きることに永遠はないと書いたからだ。

 

 Paradiseでは死の恐怖を、青い車では生きることへの諦めをちらつかせているのが分かるだろうか。Paradiseは死にたいけど死ぬのが怖い僕、青い車は生きることは疲れるけどやはり生きようと決めた僕なのだ。

 

 またこの2曲の共通点として「飛べる」「堕ちていく」「飛び立つ」、「落ちていこう」「飛び下りよう」など落下する表現が多く見られる。この「落下する」という同じような表現があることで生死という対極したものがより際立つように思う。Paradiseでは君が教えてくれた方法(=勇気)で飛び立ち、青い車ではもう何も恐れず輪廻の果てへ飛び下りるのだ。どちらも覚悟を決めて飛び下りるが、飛び下りた結果が真逆なのだ。落ちていく場所でこんなにも意味合いが変わってくる。

 

  なんとなくでも私の言いたいことが分かっていただけましたでしょうか。まったく関係のない曲なので「で?」と思う方もいるかもしれませんが、私からしてみればこの対極している2つの曲がおもしろくてなりません。れんぴさんは世界の果てで死んで、草野正宗は輪廻の果てで生きるのです。

 

 そのうち追記、加筆しそう。そのときはまたツイートします!

 

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Paradise (Ren Solo)

Paradise (Ren Solo)

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アイドルが視聴するアニメについて考える。

 こんにちは!私は元々二次元のオタクなので、たまーにアニメを見ます。そんな私がK-POPにハマり、いろんなアイドルを見ていると、日本のアニメを視聴しているアイドルが結構いるんですよね。私の推しグループ「NU'EST」のリーダー、JRくんもアニオタです。

 JRくんは割とガチでオタクらしく、メイド喫茶に行っていたり、同じグループのメンバーであるレンくんのInstagramでは、レンくんが横で変なことをやっているのにも関わらずとても真剣な表情でゲームをしている動画が上がっていたりします。

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 アイドルがアニメ視聴発言をしていると、自分が二次元のオタクなので「そのアニメ観てるの!?」とか思ってしまうんですよね。それでいて「あのアニメを推しが視聴していたらちょっとウケるな」とか考えたりしちゃいます。なので今回はそんな「推しが見ていたら少し残念なアニメ」について考えていきたいと思います。

 

 まず最初に推しが何を観ていたら残念なんて人それぞれじゃないですか…。例えばアイドルがCCさくらしゅごキャラ!の衣装を着たり、セリフを言ったりしてファンは沸きますが、ガチで観てガチのオタクだったらちょっと引きません?推しが幼女向けアニメのガチ視聴者ってちょっと怖くないですか?私はおジャ魔女どれみ世代なのですが、推しがおジャ魔女どれみのガチ視聴者で、アニメ第5シリーズの「おジャ魔女どれみナ・イ・ショ」までを時に泣き、時に笑いながら観てたら、ちょっと引く…とはなりませんね。なんせ私はおジャ魔女どれみを高校生のときに視聴しボロボロに泣いて、バチクソに萌え萌えしちゃったので…。気持ちは分かります。大人になって観る幼女向けアニメは良きなんですよね。でもそれは私がオタクだからです。一般の、全然アニメなんて観ない人たちからしたらどうなんでしょう。

 セーラームーンCCさくらおジャ魔女どれみくらいなら、アイドルのファン層で世代の人が多く、懐かしさで許せてしまう人もいるかもしれませんが、例えばアイカツ!シリーズやプリパラシリーズをガチで観てたらどうでしょうか。ちょっと面白いですね…。そんなアイドルがいたら私にご一報ください。

 

 あるアニメでは妹が自分の兄をオカズにしオナニーをするシーンがあったり、あるアニメでは遭難し、極限状態に陥った男女が森でセックスをしたりするシーンがあります。この2つのアニメはエロゲーが原作ではありますが、エロアニメではありません。

 アイドルを推すときにどうしても問題になってくるのが「女性問題」だと思いますが、皆さんはどこまで許せますか?彼女がいてもOKだし、熱愛報道が出ても平気だと言う人もいれば、彼女がいるなんて嫌!女性と関わるのもやめてほしい!という人もいると思います。なので、アニメでもこのような男女の性的なもの、もっと言うと女の子のえっちな姿が出てくる作品を視聴しているのはどう思いますか?

 ちなみに私は許容範囲です。私は上述した2つのアニメが大好きです。特に後者は好きなアニメを聞かれれば絶対に名前を出すほどです。なぜ許容できるかと言うと、話に必要、またはいらないエロシーンではないからです。前者のアニメはリアタイしていないので分かりませんが、後者のアニメのシーンはテレビ放送もされました。私はその「セックスをしているな」と分かるシーンで更にアニメが面白くなったと思っているので、それはエロいのが見たいという目的のものじゃないと思うんです。だから許せます。推しがそれでそのアニメを面白いと思ってくれるなら、男女のほぼ動物のような激しい性行為のシーンがあったとしても許せてしまうと思います。 

 

 もっと有名なアニメの話をしましょう。「新世紀エヴァンゲリオン」です。アニメは観たことないという人でも名前は聞いたことはあったり、OPである「残酷な天使のテーゼ」は歌えるという人も多いのではないでしょうか。エヴァのあらすじを簡単に説明すると、「使徒と呼ばれる敵を主人公とヒロイン二人がエヴァンゲリオンに乗って倒す」というものです。アニメをあまり観ない層からすると「普通のロボットアニメのような作品」くらいに思われていそうです。そしてこのアニメが好きと公言しているアイドルも結構いるのはないでしょうか。ですが私はエヴァは絶対に親と観たくないアニメのひとつです。なぜかというと理由は二つあります。

 まず1つ目に、主人公である碇シンジが、ヒロインの1人である惣流・アスカ・ラングレーがベッドで寝ている横でオナニーをするシーンがあるからです。少し話をはしょりすぎてはいますが、まぁオナニーシーンがあることは確かです。

 2つ目に主人公、碇シンジの保護者役でもある葛城ミサト加持リョウジのエッチシーンがあるからです。そんなダイレクトではありませんが、セックスをしているなと分かることとミサトの軽い喘ぎがあります。

 なので私はエヴァを視聴してると推しに言われたら、これらもまたいらないシーンではないので特に嫌悪感を抱くことはありませんが「おう」となるかもしれません。他にも少しやべーなと思うところはありますが、その話は私がするには少し難しいので(正直)飛ばします。

 エヴァは一応テレビアニメ版は視聴済みですが、間違っていることを言っていたらすいません…。ここに出した作品の中では一番視聴者人口が多そうなので…。

 

 これも特定のアニメの名前を出してしまうことになりますが、泣けるアニメのひとつ「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない」(以下、あの花)を観てることを公言しているアイドルはどうでしょうか。

 私の個人的な話をするのとあの花は父親が一時期ドハマりしていたので、一緒に視聴していました。作中に安城鳴子(あんじょう なるこ)というキャラクターが登場するのですが、その子のあだ名が「あなる」なんですよね。登場人物たちが幼少期に付けたあだ名なのでただ単にフルネームを略しただけなのですが、私は父親と「あなるがね…」「あなるのさ…」と「あなる」の話をすることになりました。私はまだまだ思春期ガールなので「(父親と「あなる」って言い合ってる…)」と思っていましたが、父はどう思っていたのでしょうか。大人になるということは残酷です。

 個人的な話をしすぎました。でもあの花のようなオタクじゃない人にも受け入れられそうなアニメにも落とし穴はあるということです。アイドルである推しが「あなる」発言をする世界線を皆さんは生きているかもしれません。

 

 では、日常系空気アニメはどうでしょう。例を出すと「らき☆すた」や「けいおん!」などの美少女キャラクターたちの他愛もない会話などで進んでいくアニメです。1つの分かりやすい萌えジャンルだと思います。 空気系 - Wikipedia

 私はもしかすると逆にこっちのコンテンツを好きな方が怖いかもしれません。私は空気系アニメが好きですが、推しが観ているとなると少し心配になります。なぜかというと私自身が空気系にとんでもなく癒しを求めているからです。

 高校生の女の子たちがキャンプをして楽しんでいるアニメで「ゆるキャン△」という作品があります。私はこの作品の「ただ女の子がキャンプをするだけ」の映像で泣きました。そして、そこにはなんの物語も入ってきてほしくないのです。ただ楽しそうに、キャンプをしていてほしいのです。ただキャンプをして、ごはんを食べ、友達と喋ったり本を読んだりし、そして寝る。そんな姿を1クール分ただただ観て、その生活よ永遠なれと願うのです。私はかの有名な「けものフレンズ」でも泣いた人間です。深夜、2話視聴中に「こんなに優しい世界があるのか」と気付けば涙を流していました。

 空気系アニメの楽しみ方は人それぞれでしょうが、私はこういう楽しみ方をしているので推しが見ていたら残念とかそういうのではなく、先ほども言った通り少し心配になってしまいますね。

 

 

 私は今4ヶ月連続で少女漫画誌「りぼん」を購入しているのですが、今のりぼんでは毎月K-POPアイドルの特集が組まれています。先月からはSEVENTEENの連載が始まったのですが、それまでは1グループずつインタビュー記事とインタビュー風景のマンガが掲載されていました。そのインタビュー記事で、かならずメンバー全員に好きなアニメ・マンガを聞いて載せいています。それがまた面白いのです。そんなに興味ないだろうに…という子もいるんですが、みんな偉いですね。ちゃんと回答しています。逆にガチなんだろうなという子もいます。私が好感を持ったのは「Fate/zero」と回答していた子です。Fateシリーズを観て、面白いと感じているところにオタクを感じてとても良いです。気になった方は一度検索してみてください。多分、よく分からないと思います。

 

 皆さん、どうでしょうか!?(?)ちなみにJRくんはいつも「NARUTO」が好きと言ってくれるので、少年漫画、しかもジャンプ作品で安心してしまいますね。干物妹!うまるちゃんをファンにおすすめしてきたこともありましたが、まぁそこもセーフです。私の知っている限りのJRくんが好きなアニメは特に「オタクだな~」と思う以外なんの感情も沸かせないので、そんなところも好きですね。アイドルです。

 私の守備範囲が狭くて深い話ができないのが残念です。もっと勉強します。皆さんの推しもアニメが好きなら、そのアニメがどんな内容のものなのか是非チェックしてみてください!

死んだ時くらい、好き勝手していいよね!

 歳を取り、大人と呼ばれる年齢にもなってくると葬式というものに参加することもでてきますね。久々に会った友人は母親を亡くしており、私も最近祖父を亡くしていたので、葬式の話で少し盛り上がり(?)ました。火葬するにもお金がかかって大変とか、うちは家族葬にしたとか、死ぬのにもお金がかかる簡単には死ねないなとか…(ほぼお金の話じゃーん)。小中学校の同級生である私たちは「昔の自分たちは将来こんな話をするなんて思ってもみなかったよね」なんて笑いました。

 そんなことを話をした後、この方のこんな記事を思い出しました。

plus14.hateblo.jp

 自分の葬式…。もし自分の理想のお葬式が叶うならば幸せに天国に行けそうなので、もし私が明日にでも死んだら、残された私の家族とかまぁ近い人間はどうか私の夢を叶えてあげてください。

 上述のブログを参考にさせていただきました。また、私は沖縄県出身なので少し本土とは違う風習の話も出てくるかもしれません。

 

 死ぬ場所は沖縄と決めているので葬式はもちろん沖縄でやります。県外の友人は沖縄旅行と思って来てほしいですね。交通の便を考えて私の葬式は那覇でやることにします。那覇空港からスッときて告別式にサッと参加して沖縄の旅を満喫してください。

 参考にさせていただいた記事に書いてあったのですが、私も葬式のオープニングアクトがしたい!那覇で葬式をやるので、場所は那覇市にある桜坂セントラルを採用します。本当は葬儀場で出来そうならやりたいのですが、予定している場所ではできなさそうなので一旦桜坂セントラルでオープニングアクトをし、その後また移動してもらうという面倒なことをします。

☆すべてにチケット代とは別に入場者からドリンク代として500円頂くシステムとなっています。

 桜坂セントラルは入場者から500円のドリンク代を徴収するのがルールみたいなので、そこは、その、すいません。徴収されてください…。入場料はタダなので…。

www.nahacentral.com

 もちろん出演していただくのはNU'ESTです。桜坂セントラルのキャパはスタンディングで360名。今のNU'ESTを360名キャパに呼ぶなんて失礼すぎるかもしれません。でもレアコンサートになるかもしれませんね。お年を召した方もいるので150席の椅子出しをしてもらうことにします。

 そして問題になってくるのは「NU'ESTを葬式のオープニングアクトに来てもらうにはいくらかかるか」です。2012年のものですが、Livedoor NEWSの記事でこんなものを見つけました。

news.livedoor.com

データは2011年のもので少し古いですが、今のNU'ESTなら100万ほど出せば小さい箱で数曲くらいは歌ってくれるでしょうか。セトリは特にこだわりはありませんが「overcome」と「Love Paint」はやってほしいですね。後は彼らのやりやすい曲と順番でお願いしたいです。

 150席ある椅子の1番前ド真ん中に私の遺影を置いて欲しいです。最後くらい世界で一番良い席で見たい!

 そしてこのオープニングアクトは私の遺族以外も出入り自由です。ということはマスターも入ってOKです。私の遺影以外前列マスターということもあり得ますね。それはあまりにも面白いので、私の葬式のオープニングアクトにNU'ESTのマスターが勢揃いしてほしいですね。そうなるとバッシャバシャと写真を撮る人間だけで会場は埋まり、私の遺族たちはさぞかし驚くでしょう。そしてTwitterに「180827 @ggggonly’s 장례식 오프닝 액트」みたいなツイートと共にプレビュー画像がアップされてほしいです。面白いです。そしてそこではマスターのグッズ販売を特に規制しません。無配も自由に行ってほしいです。みんなソンムル交換とかしてね!ついでに私の持ってるグッズのフリーマーケットも開催します。

 ペンの皆さん、沖縄旅行ついでに私の葬式のオープニングアクトを見にきませんか!?ですがキャパ数が少ないので先着順にします。私の遺族はほとんど興味がないと思うので、もしかすると私とまったく関係ない人で360名が埋まってしまいますね。それはそれで良いです。面白いので。

 でもNU'ESTはどういう気持ちなんでしょうね…。でもお金は出すので仕事としてなんとか誰か分からない人の葬式前のイベントを盛り上げてほしいものです。

 

 沖縄は一般人でも新聞のお悔み欄に名前を掲載します。でも私は一切したくないです。お悔み欄には死亡者の名前や家族、親戚の名前を掲載しますが、これって掲載する人数によって金額が変わってくるんですよね。それを知ったとき驚きました。なので私はお悔み欄に一切名前を載せないことを希望します!ここで節約しましょう!お悔み欄には告別式の日程や場所も掲載されますが、来てほしい友達には私の親から連絡がいくと思うので、知り合い程度の人に来てもらわなくても特に困ることはないです。

 まず、私が死んだことは仲の良い友達以外の同級生等にはじわじわと知られていってほしいです。「そういやぐうが死んだって聞いたんだけどマジ?」「え、うそでしょ?」「いや、なんかそんな話を○○から聞いて~…」みたいな会話をそんなに仲良くなかった人たちがしてくれたら最高です。私死亡説が出て、ガチだった。みたいなオチにしたいですね。

 でもなんか沖縄特有なのか知りませんが、公民館のでっかいスピーカーで亡くなった方の告別式の日程や場所を知らせるんですよね。それも禁止します。ダメです。許しません。

 

 棺は不謹慎かもしれませんが、ずっと憧れているものがあります。 それはライトノベル迷い猫オーバーラン!」や「パパのいうことを聞きなさい!」等の作者・松智洋氏の棺です。

 私も好きなイラストレーターやマンガ家さんに棺に絵を描いてもらいたいです。もしそんな棺が実現できれば、このツイートから言葉を借りると、本当におたく冥利につきるほかないでしょう。最初は私の推しであるれんぴさんを描いてもらうという、最後のわがままをしようかと思いましたが、やめます。その方たちの私が好きだった作品のキャラクターを描いてもらうことにします!

 その前にイラストレーターやマンガ家さんはだいたいどのくらい出せば描いてくれるのでしょうか。個人によって違うとは思いますが、そこはもう遺族に頑張って交渉してもらいましょう。

 また松智洋氏の話になりますが、こういうツイートも見かけました。

  出棺時に私も音楽をかけることができるのなら、私はあんハピ♪の主題歌、「PUNCH☆MIND☆HAPPINESS」をかけてもらいたいです。これは私が今一番元気づけられる曲なので、もし私の死を悲しんでくれる人がいるのであればその人に向けたいと思います。

PUNCH☆MIND☆HAPPINESS

PUNCH☆MIND☆HAPPINESS

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 棺に入れてもらうものは、推しのグッズ以外特に思いつきません。うちわは絶対入れてほしいです。後は適当にお願いします!

 

 告別式のBGMはもちろんNU'ESTくんにしてもらいます。何がなんでもしてもらいたいです。私の遺影の両脇にでっかいモニターを置いてMVも流してもらいたいです。皆さんどうぞ私の推しグループの曲聞きながら、MVを見ながら告別式に参列してください。それか私が天国で謎の部活を作り、なんでもない日々を永遠に過ごせるようにと願いを込めて空気系アニメの主題歌を流しまくってもらうのもアリですね。そしてこれらとは別に、アニメ「シャーマンキング」オープニング、「Over Soul」を誰かに間違って流してもらいたいですね。林原めぐみの「よみがーえーれー!」が会場中に響き渡れば、元ネタのスレを知っている私の友達だけが大爆笑をして遺族から冷たい目で見られることになるでしょう。愉快です。

 

 調べてて知ったのですが、本土では告別式の後に火葬するんですね。沖縄は前火葬です。なのでもし死んだ私の顔を見たい方がいるのであれば、タイミング的にはお通夜終了後ですかね?調べてたらそう出たので多分そうです。

 沖縄の告別式までの流れなどは一度調べておくとすんなり観光に移れるかもしれません。

沖縄の告別式までの流れとは?告別式の特徴やマナーについても解説!|終活ねっと

 

 【沖縄での香典返しの基本】
・沖縄では香典返しも、一人千円の香典自体が多いことから、一律で五百円~千五百円、タオルやちょっとしたコーヒーなどの品を選ぶのが一般的。

沖縄での香典返し。全国的なものとは違う基本とマナー

 香典返しの値段ひっく!!と思ったのですが、沖縄はお香典も全国的に相場も低いみたいですね。こうなってくると香典返しに悩みます。タオルはそんなにいりませんが、個人的にちょっとしたコーヒーは嬉しいので、普通にちょっとしたコーヒーにしようかと思ってしまいます。でもそれじゃあ愉快じゃないので、コーヒーのラベルを私の一番面白い写真にしておきます。この写真はもう決まっています。楽しみにしておいてください。

 

 特別したいことはこのくらいですかね。できれば愉快に楽しい方が良いです。県外から来てくれる人がいるなら、観光ついでに。地元の友達が来てくれるなら、同窓会みたいになってせっかく集まったんだし遊んで帰ろうや!とかなってほしいです。そしたら私も笑顔で天国に行けそうです。まず天国に行けるかも分かりませんが。特に悪いことはしてないので行かせてほしいですね。

 死ぬときくらい、好きなようにしていいよね!させてください!

 

 

NU'EST W-Ren solo『Paradise』への望み、そして解釈。

 

!こちらの記事は2018.7/17にpass付きで投稿したものを編集し、投稿しています。なので内容が大幅に変更されている箇所もあります。そしてクソクソどーでもいい自分の話もしています。!

 
 なんとなく私の推しであるNU'ESTのレンくんことれんぴさんのソロ曲について考えた。私が初めてPARADISEの歌詞を見た時、「れんぴさんは幸せと死をイコールで考えられる人なのかもしれない」と思ったことをふと思い出したのだ。だから改めて今さらながら歌詞を見てみることにする。
 日本語訳はこちらを参考にさせていただきました。https://ameblo.jp/merody-0126-2/entry-12331340628.html


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君と僕 世界の果てのこの場所で
僕達の永遠の中 生きている

 「世界の果て」という言葉はよく使われているのを見るが、一体どこのことを指しているのだろう。もしこの「世界」が地球だとするなら、地球は丸いのだから果てなんてないし、この世のことではないだろう。もしこの世ではないなら、そりゃあ永遠だ。

 そんな世界の果てのこの場所で生きているということは、既に彼らは死んでいるのである。これはオチを最初に示した二人の物語だ。次の歌詞からは「僕が死ぬ前の話」から始まる。なので二人が死ぬまでを過程を順を追って考えていこうと思う。

 

僕が君を見つめ 君が僕を見つめる時
崖から飛べるほどの大きな勇気をもらえる

 この部分が私が「れんぴさんは幸せと死をイコールで考えられる人なのかもしれない」と思った箇所だ。世界を敵に回せるとか、そんな起こり得ない抽象的なことじゃなくて、「崖から飛べる」と結構具体的で物理的なことを言っているんだよね。
 「僕が君を見つめ 君が僕を見つめる時」ということは、2人一緒にいるのだろうか。

 

抱きしめてあげるよ 君のすべてを満たせるように
揺らぐ心を掴まえてくれ 僕が落ち着けるように

 これ、一行目は僕が君のために何かしてあげて、2行目は君が僕のために何かをしてあげるが、どちらも僕目線である。この時点で僕に対して独りよがりな印象を受ける。

 これは「僕」が君に言っているものなので、次の歌詞と繋がっているだろう。

 

TELL ME YES AH
君の光になるから
TELL ME YES AH
TELL ME YES AH

 「君の光になるからYESと言ってくれ」は懇願だし、やはり僕の独りよがりさが伺える。君が僕のことをどう思っているのかが全然見えてこない。

 

WHEN I’M THINKIN ‘BOUT YOU YEH YEH
WHEN I’M THINKIN ‘BOUT YOU YEH YEH
君は僕の
PARADISE YEH YEH

 僕は君のことを考えていて、君は僕のパラダイスなんだね。(そのまま~)PARADISEで検索をかけてみると「楽園」や「天国」が出てくる。僕にとって君は幸せになれる相手なんだろう。

 じゃあ君にとって僕はどんな存在なんだろう。ここまで「僕」は君と両思いのように話を進めてるけど、君視点がないからやはりよく分からない。

 

墜ちていく 君と僕の中の甘美な世界に
WHEN I’M THINKIN ‘BOUT YOU

 「墜ちる」という言葉を検索しても「落ちる」や「堕ちる」との意味の違いがよく分からなかった。でもまぁ落下するという意味なことに変わりはない。言葉通り2人は甘くて美しい世界に墜ちていくのだ。じゃあ甘くて美しい世界ってなんなのだろう。

 2人で愛し合う時間を「甘美な世界」と比喩しているのだろうか。

 それとも物理的な「墜ちていく」なのだろうか。そうなると甘美な世界というのは天国になる。もしかすると「君」は天国にいるのかもしれない。ここでようやく「君」が死んでいる可能性が出てきた。

 

君は僕の世界になり
この場所で幸せな夢を見る

 僕にとっての君は「天国(PARADISE)」でもあり「世界」でもある。「この場所」というのは「世界」と比喩された君のことだろう。そんな君は僕に幸せという夢を見せてくれるのだ。そうなるとやはり独りよがりではないだろうか。

 

遥か遠くにいようと君の呼吸を感じられる
耳を澄ましてみれば風の中に君がいる

この2行を「君」が死んでいると仮定してみることにする。
「遥か遠くいようと」→天国にいる?
「風の中に君がいる」→君は存在していない?

やはり君はこの世に存在していないように思う。だからずっと僕の独りよがりな歌詞なのだろうか。

 

抱きしめてあげるよ 君のすべてを満たせるように
揺らぐ心を掴まえてくれ 僕が落ち着けるように

 もし君がこの世に存在していないのであれば、1行目の歌詞は天国に「抱きしめに行ってあげるよ」ということにならないか? 「揺らぐ心」ということは僕はまだ死ぬことに迷っている、または怖いのかもしれない。僕が死への恐怖に打ち勝ち、君のところへ行けるよう、迷いを断ち切ってほしいという哀願に思う。

 

TELL ME YES AH
すべてを捧げるよ

 「すべて」ということは、「僕の身」も含まれているだろう。つまり身を投げてもという意味が込められているということである。

 

TELL ME YES AH
君の光になるから
TELL ME YES AH
答えてくれ
TELL ME YES AH

 これは1番と同じように「抱きしめてあげるよ~」の部分と繋がっており、「揺らぐ心を掴まえてくれ 僕が落ち着けるように」に返事を求めて「TELL ME YES AH」と言っている。 「答えてくれ」が増えているということは、やはり君は答えられない状態(=死んでいる)なのだろう。だから僕はずっと独りよがりなのかもしれない。

 「抱きしめてあげるよ 君のすべてを満たせるように」と「君の光になるから」は君のために何かをしてあげたい気持ちで、だけど君は存在しないから何もできない。だから死んで君のもとへ行きたい、だからそのための勇気をくれということではないだろうか。

 

WHEN I’M THINKIN ‘BOUT YOU YEH YEH
WHEN I’M THINKIN ‘BOUT YOU YEH YEH
君は僕の
PARADISE YEH YEH
墜ちていく 君と僕の中の甘美な世界に
WHEN I’M THINKIN ‘BOUT YOU

 1番の歌詞と変わっていないので一旦置いておく。 

 

危険な憎しみの丘に
ひとり取り残されようと
君が僕に教えてくれた方法で
飛び立つんだ

 「危険な憎しみの丘」とはなんだろう。生きている世界を比喩したものだろうか。この歌詞には崖とか丘とか高い場所ばかり出てくる。もし君が死んでいての「ひとり取り残されようとも」という歌詞ならば、「僕」はその丘から「飛び立って」しまう。つまり自殺だろう。

 

CAUSE YOU’RE IN MY HEART

 英語のできない私はいくつかの翻訳サイトを使って訳してみたが、「僕の心の中に君がいる」という意味だろう。やはり君は存在していない。だから「心の中にいる」と言っているのだろう。

 

WHEN I’M THINKIN ‘BOUT YOU YEH YEH
WHEN I’M THINKIN ‘BOUT YOU YEH YEH
君は僕の
PARADISE YEH YEH
墜ちていく 君と僕の中の甘美な世界に
WHEN I’M THINKIN ‘BOUT YOU

 やはり墜ちていったのは「君」がいる場所=天国で、この最後のサビでやっと愛し合える甘美な世界になったのかもしれない。
「君」がいる場所と、僕にとっての「君」でPARADISEなのかもしれない。


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 一旦歌詞全体の解釈を綴ってみたが私が特に好きな部分をもう少し細かく書く。

 「崖から飛べるほどの大きな勇気をもらえる」の部分はやっぱりすごい。相手からどのくらいの勇気をもらえるかを表現するときに「崖から飛べるほど」を使うことに本当に感動している。こういう表現をするとき、上述したが「世界中を敵に回しても」とか、そういう「起こり得ないけど壮大なこと」が多いと思うが、れんぴさんは死をほのめかしてる上に具体的で「君のためなら死ねる」のような曖昧な表現ではなく「崖から飛べるほどの勇気」と言っているのだ。だがこの時点ではまだ「勇気」でしかない。しかし終盤で「君が僕に教えてくれた方法で飛び立つんだ 」と歌っている。君が僕に教えてくれたというのはこの「勇気」のことだろう。そして丘の上から飛び立っているのだ。君が僕にくれた勇気で。
 そして一番の歌詞で「TELL ME YES AH 君の光になるから TELL ME YES AH TELL ME YES AH」だったのに対し、2番で「TELL ME YES AH 君の光になるから TELL ME YES AH 答えてくれ TELL ME YES AH」と、「答えてくれ」が追加されているのもとても良い。1番よりも2番の方が君に対しての問いが強くなっている。君は答えてくれない、または「答えられない」のだ。なぜなら君は存在しないから。

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 話は変わるが、小学6年の時、名探偵コナンにドハマりした。少ないお小遣いや親に頼み込んでその頃でも既に結構な巻数が出ていた単行本を買ったり、誕生日にはお小遣いじゃ買えないようなコナンの大図鑑?みたいなぶっとい本を買ってもらったり、主題歌集のCDを買ってもらったりした。その主題歌集は未だに聞いている。あの頃は「コナンの主題歌だから」という理由で聞いていたし、小学生だったので歌詞の意味なんて考えたこともなかった。だけど少し前に、上原あずみの「無色」をなんとなく聞いていたら「あれ…この曲の主人公死んじゃったよ!?」と8年越しくらいに気付いてしまった。
 上原あずみの「無色」はコナンではエンディングとして使用された。この曲を新一と蘭に置き換えると蘭姉ちゃんは死んでしまうことになるが、それでいいのかコナン側。
 とまぁそれに気づいてからは、無色をアホみたいに聞いた。歌詞はこちら→ http://www.kasi-time.com/item-2189.html 要約すると「君がいなくなって(死んで)私の目に映るものは全て無色になってしまった。だからあなたに会うために星空に向かって飛び立ちます(死にます)」みたいな感じ。
 この歌詞を改めて読んだ時、なんというか、すごい感動した。なぜなら私の知っている好きな人が死んだ曲は大概「あなたはいなくなってしまったけど、それでも私は頑張って生きるよ」的な歌詞の曲ばっかりだったから、こういう歌詞もあるんだと驚いたのだ。音楽をたくさん聞く人からしてみれば、そんな曲たくさんあるよと思われるかもしれないが、なんせ私は音楽を全然知らない人間なので衝撃が強かった。
 だからこんな風に推しのソロが死亡ソングかもしれないと大興奮し、いちいち自分の解釈を解説したりしている。

 

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 どうだろう。異論反論受け付けます全然。

 れんぴさんとBUMZUのアニキがどういう考えでこの歌詞を考えたのかは分からないけど、好きだな~この歌詞。この歌詞が実際どんな意味であろうとも「崖から飛べるほどの大きな勇気をもらえる」という部分は変わらず好きだと思います。

 そして物語のオチを最初に持ってきていることに気づいたときは驚きました。いや~余計好きになってしまった。僕が死に怯え、だけど君からもらった勇気で君のもとへ向かう…いや~良い!良いですね!このオチを知って追って行く感じ…たまらんです。

 私は「好きな人のために死ぬ」というシチュエーションが好きなんですよね。何か作品を見るにしろ、自分が創作するにしろ。だかられんぴさんが「崖から飛べるほどの大きな勇気をもらえる」なんて歌詞を書いたことが嬉しくてたまらんのです。いやお前死ネタソングにしたいだけだろと言われれば、なんかそんな気もしてきました。

 正直書きながらまとまってね~と思っているので、知らないうちにいろんなところが変わっているかもしれません。ごめんね。

 ほんと私は全然音楽を聴く方ではないので、音楽に詳しい方からしたら変なことを言っているかもしれません。それはすいません。あと、脳直文章なのでまとまってないかもしれません。それもすいません。

 「私はこんな解釈だよ!」という人がいれば、どうか@私で送ってください!お願いします!

 楽しかったです。ありがとうございました!

Paradise (Ren Solo)

Paradise (Ren Solo)

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2018/11.8 再編集